顕微鏡の技術がカメラに活かされている – 写真家ハービー・山口がライカの顕微鏡に出会う(1)
写真家ハービー・山口がライカの顕微鏡に出会う
ライカは、1849年、数学者カール・ケルナーがドイツのウェッツラーに創設した小さな光学研究所から始まりました。その志はエルンスト・ライツに受け継がれ、1870年、実用顕微鏡がはじめて生産ラインから世に送り出されたのです。そして、1913年頃、ライツ社(ライカの当時の社名)の光学技術者だったオスカー・バルナックが、顕微鏡レンズの技術を応用して小型カメラの開発の成功。後のライカカメラへと繋がっていきます。
現在、ライカカメラとライカマイクロシステムズは、カメラ・顕微鏡業界で、それぞれ別の企業として、「ライカ」に脈々と受け継がれてきた「世界最高品質レンズ」へのこだわりを守り続けています。
ライカカメラが世界で最も有名なカメラブランドであることはもちろん、ライカの顕微鏡もまた、世界中の教育現場、医療・ライフサイエンス・マテリアルサイエンス研究、外科手術、製造業、そして科学捜査など、さまざまな分野で愛用されています。ライカの電子顕微鏡用試料作製装置もまた、ライフサイエンス、生産・製造業の両分野で広く使用されています。
この度は、ライカカメラ愛好家で、2014年にライカカメラが開催したライカ0型カメラの100周年写真展 “Eyes Wide Open! 100Years of Leica Photography” の際には、ライカが選んだ写真家140名/作品500点に選出された経歴を持つ、ハービー・山口さんに、「ライカ」への想いを語っていただきました。
ハービー・山口 プロフィール
http://www.herbie-yamaguchi.com/
1950年、東京都出身。中学2年生で写真部に入る。大学卒業後の1973年にロンドンに渡り10年間を過ごす。 一時期、劇団に所属し役者をする一方、折からのパンクロックやニューウエーブのムーブメントに遭遇し、デビュー前のボーイ・ジョージとルームシェアをするなど、ロンドンの最もエキサイティングだった時代を体験する。そうした中で撮影された、生きたロンドンの写真が高く評価された。 帰国後も福山雅治など、国内アーティストとのコラボレーションをしながら、常に市井の人々にカメラを向け続けている。 その優しく清楚な作風を好むファンは多く、「人間の希望を撮りたい」「人が人を好きになる様な写真を撮りたい」というテーマは、中学時代から現在に至るまでぶれることなく現在も進行中である。
(HERBIE YAMAGUCHI OFFICIAL WEBSITEより引用)
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